発達障害と、仕事と、受験と、時々不登校。生きづらい親子が自分達らしい生き方を見つけるには。

ADHD持ちの私と、程度は違えど同じ特性持ちの娘2人。上手くいかないことばかり、でも楽しく生きていきたい。そんな日々を綴ろうと思います。

最後の登校。

次女が、小学校を転校することになりました。


4月からは、かねてから転校したいと思っていた、隣町のはずれの、小規模な学校に行きます。


すったもんだありましたが、結果的には転校を認められ、手続きを終えることができました。




先日、こちらの地域の小学校では、新型コロナウイルスによる休校措置が解除となって初めての登校日、修了式となりました。


同じクラスの子に会えるのはこの日が最後となるため、『みんなにお別れが言いたい』と、娘の方から提案がありました。

精神的にだいぶ回復してきた証拠でもあると、嬉しく感じました。 


前日までに、クラスの子へ、ご挨拶として、全員分の2B鉛筆、赤青鉛筆、消しゴムを買いました。

娘達と協力しながら、1人分ずつ袋詰めし、無事に25人分、用意できました。


私が、娘の担任だった先生とは直接関わりたくないので、教頭先生が私と学校の仲介役をしてくださっていました。

教頭先生のご配慮で、HRの時間に娘の挨拶の時間を設けていただき、

担任だった先生とは娘も会いたくないということで、学年主任の先生が挨拶の時は娘に付き添って下さるよう、セッティングして下さいました。


娘は、家を出る直前まで不安と闘っていて、

『やっぱり行くのやめようかな』と何度か言いました。


教頭先生とは、前日のうちにいろいろ打ち合わせもしていて、娘がやはり行けないとなれば、その時は無理して来なくて大丈夫ですよ、と温かい言葉もいただいていたので、それは娘に伝えていました。

『でも、これがみんなに会える最後のチャンスだから、もし会わないで転校することにしたら、後になって、あの時最後にみんなに会っておけば良かったって、きっと後悔するんじゃないかな。』

私がそう言うと、娘は『そうだよね、やっぱり学校に行く!』と車に乗ってくれました。


娘にとっては、クラスの子達にもう4ヵ月近く会っていないし、教室にも入っていないので、怖いのは当然です。

しかし、これが出来たら、娘には大きな自信になるでしょう。


私は教室には入らず、廊下から見守っていました。


教頭先生も教室に入ってくださり、学年主任の先生がフォローしてくださいながら、娘は一生懸命、みんなにお別れの挨拶を最後まできちんと言えました。

クラスのみんなも、静かに娘の挨拶を聞いてくれました。


クラスのみんなへのプレゼントは、先生から子どもたちに配ってもらおうと思っていたのですが、挨拶の後に娘が自分で渡したいと言ったので、クラスの一人ひとりに娘が直接手渡しました。


親としては感無量でした。






よく頑張ったね。

偉かったね。

300点満点だよ。


終わった後、娘を労い、抱きしめました。









ここまで、本当にいろいろな困難がありました。

長かった。

でも、まずはここで一区切りです。



4月から、新しい学校で、新しい環境で、新しいスタートを切る娘。

これから先どうなるかわからないけれど、彼女がこの数ヶ月を乗り越えて、本当に大きく成長できたのは間違いありません。



私達親子を支えてくださったすべての皆さんに、心から感謝しています。




ここから、また娘と二人三脚で、一歩ずつ前に進んでいきます。


親として、身の引き締まる思いです。