発達障害と、仕事と、受験と、時々不登校。生きづらい親子が自分達らしい生き方を見つけるには。

ADHD持ちの私と、程度は違えど同じ特性持ちの娘2人。上手くいかないことばかり、でも楽しく生きていきたい。そんな日々を綴ろうと思います。

卒業おめでとう。

先日、長女が無事に高等学校を卒業しました。



入学から、あっという間の3年間でした。





素晴らしい多くの仲間と、切磋琢磨した3年間。


勉強と部活と学校行事の板ばさみで、ハードなスケジュールに打ちのめされそうになったこともありました。


学年全体が受験モードに入ると、その雰囲気にやられてしまい、強いストレスを感じ、体調を崩しがちになったことも。


中学校の後半頃から、マルチタスクの弱さ、大切なことほど抜けてしまう、重要なことほど後回しにしてしまう部分が目立ってきて、高校時代は多忙な中で、その特性がだいぶ露呈するようになりました。


それまで優等生だった長女が、優等生ゆえに周囲から大きく期待されてしまう陰で、自身の特性にずっと苦しみ、悩んできたのも事実でした。


私自身の発達障害に気づいてから、長女にも同じ特性があると気づいてあげられたのは、本当にラッキーでした。

そうでなければ、彼女は大人になるまで、その特性に誰も気づいてあげることができなかったと思うのです。


不注意優勢型で多動がみられず、真面目で成績も良い子は、大人になるまで特性を見逃され続け、大人になってから苦しむことが多いです。


私自身がその一人だったので、子供達には、そんな思いをさせたくありませんでした。


しかし、特性を受け入れられず、自分の無価値感に苛まれ、うまくいかないことは全て、発達障害のせいにする長女。

自分なんか生きていても仕方ない、何故産んだのと私を責める日々。

あなたは価値ある存在だ、母の私が保証すると泣きながら伝え、どうしたらわかってくれるんだろうと試行錯誤し続けました。


発達障害に気づけたことを前向きに捉え、苦手を知り、工夫すること。無理しすぎないこと。できない部分も許すことができるようになってほしくて、私も必死でした。


ありがたいことに、発達障害に気づけたことは、良いお医者様やお薬との出逢いもあり、定期的な受診と、お薬との上手なつきあい方も学びました。




学校では、素晴らしい先生方と出逢い、沢山の良い影響もいただきました。


彼女のやりたいこと、才能が開花した3年間でもありました。




長女にとって高校時代は、一生ものの、かけがえのない財産となりました。





長女を支えてくださった多くの方々と、本人の頑張りに、心から感謝と祝福を贈ります。





卒業おめでとう。

一区切り。

娘の大学入試が終わりました。


長いようで短かった、受験生生活。




娘は国公立大学一校、前期日程のみの受験で、後期日程は出願していないので、

泣いても笑っても、一昨日の試験の結果が全てです。


あとは発表を待つのみ、となりました。




完全に、母子で燃え尽き症候群です。

朝から何もせず、1日過ごしました。




新型コロナウイルスの流行がなければ、受験が終わってから行きたい場所や、やりたいことが色々あったようなのですが、

今はひとまず、新生活に向けての身辺整理などを少しずつしながら、過ごすことになりました。



受かっても落ちても、新生活。

高校を卒業しますからね。





3年前、高校受験の時は、良い塾に恵まれ、無事に第一志望の高校に入学しましたが、

大学受験は塾なしの、全てセルフで挑みました。 


娘の高校は放任主義で、進路指導らしいものも本当に僅かであり、進路に関してはすべて自分たちで調べて決断しろといった感じだったので、

(偏差値70を超える高校でも、この程度の指導なのか...だから浪人が多いのかも...とがっかりしましたが)

母親の私が、我が子のプロデューサーとしてできる限りのことはしなければ、と

そんな気持ちでした。




娘は、第一志望の大学は諦めましたが、受験した大学の校風がとても合っているようで、

きちんと気持ちを切り替え、二次試験では実力を十分に発揮できた様です。


試験会場から出てきた娘のやりきった表情、そしてひとこと、『楽しかった!』と笑顔で言ってくれたこと、

それを受けて、本当に力を出し尽くすことができたんだと、これで結果がどうなろうと、悔いはないなと心から思いました。




本当によく頑張ったと思います。






娘の主治医の先生に、受験前に言われた言葉があります。


『お母さんにも娘さん達にも共通することは、できていることが沢山あるにも関わらず、できていないことばかりに目を向けてしまい、鬱になりやすいこと。

ADHDで鬱を合併する人は、たいていこの傾向があります。

でも、皆さん能力が高いので、他の人よりできていることが沢山あるんです。なのに、何故かそこに目を向けられない。

できていないことばかりに目を向けて、自分はダメだダメだ、と自分を責めてばかりになってしまう。

これはとても時間の無駄であって、非効率的。良い結果を生みません。

他の人よりできていることが沢山あるのだから、それを伸ばすことに時間を費やせばいいんです。

不得意な部分にスポットを当てて、それを責めた所で、何も改善しません。

できないことは、ポジティブに諦める潔さも必要。そして、できることを伸ばしてあげたらいい。

お姉ちゃん(長女)は、十分に頑張ることができていた。それは明らかです。


大学は本当に学びたいことを学ぶ場所です。第一志望の大学でなければ学べないわけじゃない。自分の学びたかった分野を学べる大学なら、第一志望以外の大学だって、特に問題ないわけです。出願先を変えたっていいじゃないですか。

長い人生、回り道したっていいし、入学してからやっぱり納得ができなければ、再受験したっていい。

選択肢はいろいろいろあります。まずは目の前のことをやってみて、考えるのはそれからでも遅くない。

自分にもっと自信を持って、お母さんもお姉ちゃんも、頑張ってください。』



そんな言葉を戴いて、目から鱗が落ちたような思いでした。



私は、娘が出願先を変えたこと、娘を信じて最後まで応援してあげられなかったことをずっと後悔していて、心のどこかで引きずったまま、気持ちを切り替えることができていなかったのかもしれません。娘自身はもう前を向いているのにも関わらず。


主治医の先生はそんな私を見抜いて、仰ったのでしょう。




受験期は、とにかく視野が狭くなりがちだと思います。本人も、家族も。

私のような凸凹母は、特にです。

だからこそ、第三者の言葉が、冷静な意見が、必要です。






今度こそ、前向きな気持ちで、娘の合格を信じて待ちたい。





美しい桜が、咲きますように。

発達障害って悪いこと?

最近、次女が『眠れない』と言います。


学校に戻るための準備期間に入ってきたので、緊張もあるのかな、と思いつつ、そんな時は無理に眠ろうとせず、いろいろな話をします。


先日、発達障害について、少し突っ込んだ話をしてみました。

そこでわかったのは、次女はADHDが発達障害のひとつであると、きちんと理解できていなかったようです。


小学校低学年の次女には難しいかな?と思う内容は、年齢が上がるのと共に徐々に話していこうと思っていたのですが、

次女は物事の飲み込みが早く、ニュアンスで話の枠組を理解できてしまうところがあるので、しっかりと説明をすることで、自分の中で噛み砕くことができたようでした。


次女は聴覚過敏があり、騒音に耐えられずパニックになってしまい、教室を飛び出してしまったり、イライラして大声で叫んでしまうことも、性格などの問題ではなく、発達障害の特性であって、簡単に言うと、他の人よりあなたが極端に苦手な部分なのよ、と説明しました。

次女は、知って良かった、教えてくれてありがとう、と言ってくれました。


以前から、これについて次女には何度か説明したつもりでしたが、私の説明が不十分だったようです(私自身が発達障害なので、肝心な部分をすっ飛ばして話していた可能性が高い)。


そして、発達障害という言葉はハンディキャップのように聞こえるかもしれないが、その特性を活かして成功した人も多くおり、教科書に載るような偉人たちにも、発達障害と思われる特性を持つ人物が多くいること。

だから、発達障害であることは必ずしも悪いことばかりではない、もっと自分に自信を持っていい!と言いました。


発達障害と聞いて泣き顔だった次女も、次第に目をキラキラさせながら、私の話を聞いてくれました。


『発達障害は、苦手なことは多いかもしれないけど、その分ずば抜けて得意なことがあったり、苦手を補う能力を秘めているからこそ、成功できたり、人を惹きつけたりするんだよ!

だから、自分に合った生き方、働き方を探せばいいだけなんだよ。

能力の活かし方は、いくらでもあるんだから!』


すると次女も、うん、そうだね、ママありがとう、と笑顔で言ってくれました。




生きづらい世の中なら、当事者が声をあげて、少しずつでも道を切り拓き、生きやすい世の中に変えていけばいいじゃないか。



どうせ変わらない、と諦める前に。

やれることは、まだまだあると思う。



娘たちが大人になる頃には、もっともっといろいろな人が共存して、お互いを尊重して暮らしていける、『いろんな人がいていいんだ』とみんなが思える社会になったらいいな。


そのために今、大人の私達ができることは何か。

模索する日々です。